市之倉・光明寺調査を実施している中で、多治見市側では、市之倉から奉納を行い、静岡にて受領したという古記録・古文書の確認ができていました。しかし浜松市の光明寺側では火災などの厄災や発掘調査が行われていないと言った理由で具体的な陶器や、古文書が出てきていないのが現状の調査状況です。
中世から近世にかけて具体的にどれだけの期間に、市之倉で作られた品物が、光明寺へ奉納されていたのかといった史実を確認すべく、猛暑中である8月中旬に多治見文化財保護センターへ訪問させて頂き、遺物を前にお話を聞くことが出来ました。
市之倉の発掘調査は、これまで数箇所のみで、それらもすべて山の法面のコンクリート保護を実施するための開発発掘であった為、窯跡遺跡の発掘を主体として実施しているとのことで、江戸中期からの陶器、陶片の発掘がされています。この中に関連があると思われる文字が書かれた陶片が発掘されている為、実物を確認させて頂きました。
しかし、事前に確認したいとお願いした内容と多少のくい違いが起こってしまい、光明寺の「光」「明」を確実に記した陶器を確認することは叶いませんでした。後日、文化財保護センターの方より連絡がありましたら、実物の確認と共に調査報告をさせていただきたいと思います。
また調査が進みましたら、適宜ご報告をさせて頂きます。
(記事/青山)